【XpatHomes誕生秘話】

代表・宮本亜希子がアメリカで不動産会社を立ち上げたストーリー

そもそものきっかけは...16~20

年が明けて移動したコールドウェルバンカーのオフィスは、

コロンバスダウンタウンのコモンズ公園沿いでThird Streetに面したガラス張りの建物の1階。

通りの反対の高層ビルの一階には子供の遊び場があり、園児募集の看板が出ていた。

「何歳から預かってもらえるんですか?」
「8週間からです。」

サムはすでに10週間を超えていたので、クラスに空きが出来たら連絡をもらう約束にして電話を切った。

弁護士のチャールズから連絡が入った遺産相続の案件。

残された奥さんが別居中の旦那の住んでいたダブリンの家を売却するのだが、私以外に2人の仲介士を面接するという。私との面接に指定された日は生憎、主人がミシガン出張で留守の晩だった。

これにはまさか子供達を連れて行くわけには行かない...

近所に住むフランチェスカとベロニカが我が家に来て2人を見ててくれる予定になっていた。

サムと一緒にコールダーをダウンタウンの西にある保育園に迎えに行き、315号線を降りたばかりのNorth Broadwayで乗っていたピックアップトラックがエンストした。

「ま、まじ」

面接は夜7時、売手さんのうちまでは自宅から25分は掛かる。時計は午後6時を少し回っていた。

コールダー、ママと一緒におうちまで走るよ!

大人の足で歩くと10分は掛かるだろうか。非常灯をつけてトラックを降りて、サムの入ってるベビーキャリアーと寝耳に水のコールダーと兎に角家まで走った。

翌朝申し込みを入れていた保育園から私の携帯に電話が入った。

「空きが出たのでサム君、来週から来られますよ!」
「この次に空くのはいつになりますか?」
「...??」

ピカリントンに住む日本人の売却物件を預かる時の面談も写真撮影も一緒だった。

オフィスでもベビーキャリアーに寝るサムを足元に置いて仕事をして来た。

サムが生まれてから、お腹から出たサムとサムのベビーキャリアーと私はいつも一心同体だった。

あんまりにも早くに空きが出たとの保育園からの連絡に、つい馬鹿な質問が出た。

次にいつ欠員が出るかなんて分からないのに、それにオフィスの通りの向かいという好立地のこのチャンスを見送るわけには行くまい。

サムとのお別れは思ったよりはやく来た。

"Akiko, I chose you." (「亜希子、あなたに売却を任せるわ。」)

コールダーとサムを後ろに乗っけてコロンバスの自宅への帰宅途中、デトロイトのダウンタウンをちょっと抜けたくらいのところでリサからの電話が入った。

ハイウェイの車の数も少し減ったところに来ていて、本当助かった。ダウンタウンの真っ只中のあの曲がりくねったところを走っていたら、たぶん興奮してぶつけていたと思う。

まだまだ新米の私は相手に見くびられたくないという想いが強かった。

これがお預かりする2軒目になるはずのお仕事。

(賃貸のお仕事はいくつかやってましたが所属するブローカー的には眼中にないという感じでした...)

極めて平静を装い尋ねた。

"Thank you, Lisa.  I'd love to work with you.  But..May I ask you why you chose Me?"

(「リサ、ありがとう。あなたとお仕事できて光栄です。でも、どうして私を他のリアルターの中から選んでくれたのか、教えてもらえますか?」)

リサが面談した他2名のリアルターはベテランであることを弁護士のチャールズから聞かされていた。どうして私を選んでくれたかものすごく興味があったし、これは次からの参考にしたいと思って勇気を出して聞いてみた。

"Oh, that is easy.  You were the only one who was enthusiastic about selling the house." 

(「ああ、簡単なことよ。あの家を売るのに一生懸命な感じだったのはあなただけだったから。」)

平静を装おうとしてた自分が浅はかで、恥ずかしかった...

リサが私を選んでくれたのは

私がただ一生懸命だったからだった。

59才、これは不動産仲介士の平均年齢。

リサのコメントで経験はなくとも、一生懸命さで頑張ればいいんだと分かった若干43才😮

なんだか訳もない元気と希望が溢れて出た🤩

売却と購入は分からないことにぶつかっても、もっといい方法がないかアドバイスが欲しくても、オフィスの先輩リアルターに、そしてマネージャーのキースに、いくらでも相談相手がいた。

でも、日本人から来るのは賃貸物件探しの依頼ばかり!

当時60人程度所属していた私のオフィスに賃貸物件を扱う人は一人も居なかったし、大家さんから賃貸物件を預かったり、物件管理をしている人はいてこそ、テナントの立場を代弁して仲介をしているリアルターはこのコロンバスエリアでは、10年後同じく日本人を相手に賃貸物件探しを手伝うという後人の日本人リアルターが誕生するまで私だけだった。


先人が居なければ、頼りにするのはクライアントの声だけ。何を欲しているのか、兎に角聴いた。

「寝室の天井に照明が欲しい。」

そう聞き出したら、すぐ様大家さん側の仲介士に電話をした。

「これがアメリカでは当然よ!」

イギリスの有名な探偵の名前の不動産会社名のブローカーの彼女は言う。

これをそのままクライアントに伝えたら、それじゃただの子供の遣いだ。

彼女にとっての急所はどこだろう...

「まだお子さんが小さいので子供部屋が夜暗くなってしまうのは、危険。

事故が遭った時にはどうなりますか?」

大家さんが寝室の一つだけ照明を付けてくれることになった。残りの寝室も自費でも電気が欲しいということだったので、もう一度連絡をしたら断られた。でもこのクライアントさんだけじゃなく次に入る日本人の人は必ず喜んでくれるはずと自分を元気づけて、もう一度電話した。

いやーな声だったけど、了承が得られた。

家賃の値上がり上昇率の交渉、冷蔵庫は自分で購入せよというオーナーに冷蔵庫を付けてもらう交渉、なかった大きな浴槽を大家さんに増設してもらうことも交渉した。

後から、その家にはガレージドアのオープナーが付いてないことが分かり大家さんに聞いたら手動で開け閉めしてくれと言われた。

はーっ?!

生憎、提示家賃より予算に余裕があったので多めに払うという切り札はこの浴槽の設置で使い果した後だった。

内覧の時、それを見逃し契約の前に交渉出来なかったのは私。だから自腹でガレージドアオープナーを付けてもらうことにした。幸いオーナーの仲介士が折半にしてくれた。

彼の預かり物件には、今でもテナントさんを紹介している。

「そんなの無理だよ」

「出来ないよ」

「オハイオではこれが当たり前だよ」

これとの戦いだった。

「後から来る子供が高校生なもので、コフマン高校でお願いします。」

今から9年半前の2012年4月10日。福地(仮名)さんという方から仲介依頼があった。

5月になって予算内で1軒だけ賃貸物件が出た。

まだ退去される前のこのお家はコフマン高校の学区で契約の話を進めることになった。

途中までトントン拍子だった他州に住む大家との交渉の雲行きが突如怪しくなった。

「もう一人借りたい人がいるので先に保証金の振込をした方に貸したいと思う。」

こんな怪しいことを言い出す大家とそれでもやりとりを続けたのは

コフマン高校に賃貸物件が他に1軒もないから。

なんとか話をまとめたかった。
でも、福地さんの働く会社では契約書に必ず入らなければ行けない転勤条項、会社で転勤を言い渡された時には60日前の通知でいつでも解約が利くという条件だけには「うん」と大家が言ってくれない...。

労働ビザを取得して日本から社員を送るという会社の投資額からして、そんな簡単には移動はない。

家賃は給料の他に補助があるから絶対に期日に払う、靴を脱いで生活するからカーペットが汚れない、とかなんとか考え付く理屈は屁がつくものまで全部並べてみた。

「それじゃ2年契約じゃなく、60日契約だ!」

大家の言う通りだ。

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