【XpatHomes誕生秘話】

代表・宮本亜希子がアメリカで不動産会社を立ち上げたストーリー

そもそものきっかけは...11~15

こうして売却物件を初めてお預かりする一方で赤沢(仮名)さんの賃貸物件探しも始まりました。

海外にいる大家さんから賃貸契約の途中解約の了承が得られた喜びも束の間、入居する家を探さなくてはなりません。時間との戦いが始まりました。

時は7月中旬。
退去日は2ヶ月先。ご主人はほとんど出張、いても帰宅は午前すぎ。生後間もない乳児と幼児を抱えての引越しです。

すぐにこれはというお家が出てきました。


でも....大家さんとなる人が突然確認なしに教えてもいないご主人の会社に電話を掛けて来たり、まだ契約の条件を話し合う前から契約は今か、今かと1時間おきに私の携帯に電話が入ります。

少し度が過ぎました。入居前からこんな様子では今のお家同様、大家さんの人柄や対応でまた苦労するのは懲り懲り。という事でこの家は、結局断念。

8月に入って4軒ほど物件を見たあと、9月の声を聞いて焦り出した頃、ちょうど売りに出そうと考えていたお家を貸してもいいという人が出てきたと赤沢さんから連絡が入りました。立地もお家も気に入り、

ほっ😅退去期限10日前の9月20日に入居となりました。

「嫁はこの家を大変気に入っており、外出する気にもならないようです。」


お子さんが小さいので学区のしばりがないのが救いの神でした。

なんとか退去日の前に新居の賃貸契約書を結ぶお手伝いが出来ました。でも、このコロンバスどうやら賃貸物件というものがそんなに多くはないらしい...ということがこの時のお家探しから分かりました。

私たちの会社の当時のスローガン”日本人の細やかなサービスをアメリカ的大胆な発想と

Nihongo-de-USA.(当時の社名)のブランドでお届けしています。”は、この初めてのお客様第一号の赤沢さんから返ってきたアンケートの回答にあったコメントを頂いたのでした。

こうして初めての報酬、赤沢さんからのテナントエージェントを務めた家賃の1ヶ月分の小切手を手にしたのは2011年10月6日。

よく覚えているでしょ?

そんなにお金に困っていたの?!

確かに...すでに資格を取って5ヶ月ちょっと経っていました。

でも5ヶ月分の所属費用とブローカーの取り分を差し引いたのち手元に残るのは400ドルちょっと。地元の仲介士協会に所属しないとMLSの物件データベースを利用できませんからその年会費を考えるとまだ足が出ました。

翌朝、長男を保育園に落とした後なんとなく予感がしました。



「パパ、今日だと思うの。だから、用意しておいて!私、このチェックその前にオフィスに置いてくるから」

当時はダウンタウンの南、ジャーマンビレッジにあったブローカーのオフィス。

アドミンのステーシーの机は2階にあって、私にしてはゆっくり、ゆっくりと慎重に階段を上がったのを覚えています。

“Wow! Congratulations, Akiko!
It’s your first check!!”

(「おめでとう、亜希子!初めてのコミッションね!!」)

無事チェックを渡してほっとしたか、自宅に向かう車のなかでお腹にぐっと痛みが走り、

その日も終わろうとする夜中零時の15分ほど前に次男が産まれて来ました。

パパとコールダーが迎えに来て、ちっちゃいサムと一緒にリバーサイド病院の自動ドアを出て当時はまだガラケーだった携帯をオンにすると、さっそくマネージャーのキースから

Are we still on for tomorrow, Akiko?

 (「明日の予定、大丈夫?」)と電話が入った。

Yes, I will be there! (「ええ、行きます。」)



アメリカは普通分娩だと2泊。

金曜日の23時40分過ぎに生まれて来ても、その晩は1泊にみなされる。

(ま、費用は高いし、食事は味も見た目も機内食。←おかしくて記念に写メした程だから、別に長居したい訳じゃない。)

退院は、翌日の日曜日正午。母親に1日も仕事を休ませずに生まれて来たのは、さすが我が子サム。

翌朝、約束の朝8:30。ジャーマンビレッジのオフィスにベビーキャリアに乗っけたサムと現れるとキースは目をまん丸にした。

Whose baby is this?! 
(「誰の子だい?!」)

苦笑いしながら、産んだばかりで、まだしぼんでもない自分のお腹を指差した。

日本で長男を妊娠した時、コンサルしてるクライアントに5ヶ月頃に打ち明けたことがあった。

結果、見事にコンサル契約を解約された。

いくら変わりなく仕事をする覚悟をしていても、それは通じない...。

それで、ちょっとこの頃の私は粋がってたかも知れないけど、始めたばかりのリアルターの仕事。

子供を産んだというだけで仕事が出来ない人とは思われたくなかった。

続けて来た日系企業の総務の方々へのご挨拶まわり。

その中の1社からテキサスに転勤が決まったからピカリントンの家を売りたいと連絡が入る、

わーい \(^^)/

総勢3名からなる私のコロンバスの知り合い。そのナンバー1である修理屋のデーブが紹介してくれた従姉妹の生家。記念すべきお預かり(売却)物件第一号。

売りに出して翌日に満額のオファーで契約に入るも、検査で地下の壁が湾曲してしまっていることが発覚。補修の見積もりやら、売手さんと買手さんの仲介士との折衝に奔走 -_-;

知り合いナンバー2、弁護士のチャールズから電話をもらう。

彼の担当する遺産検認裁判の案件で別居中の旦那さんが急死。管財人の奥様に紹介を受ける\(^^)/

コロンバス市内、クリントンビルにある我が家の立つ通りには他に100世帯ほどの家が建ち並ぶ。

7月4日の独立記念日の前日に名刺を貼りつけた星条旗を1本1本家の前に立てた。

「来年5月に今の賃貸契約が切れたらこの地域に家を買いたいと思っていたんだ、手伝ってもらえるかい?」

と数軒先に住むジュードという男性からEメールが来た\(^^)/

粋がりが天に通じたか、生まれて来たサムが運んできてくれた運か...

出産を前後して何だかんだとだんだん不動産仲介士らしい暮らしになって来た。

そして... 思ってたより早くお別れは来た。

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